私の愛する中国は
岸弘子 二十数年前、さだまさし氏の『長江』という映画を観ました。「日本がなくしてしまったものがここにはある・・・」という一言にわけもなく魅かれました。クラスメートがジャニーズだ、金八先生だと夢中になっているころ、三国志を愛し、漢詩にハマっていた私は、かなり異色な中学生だったと思います。
あれから、様々な紆余曲折を経て、やっと中国と関係のある仕事ができるようになりました。実際に中国に住み、仕事をするという、夢のような機会を得ることができたのです。ただ、残念なことに、二十数年前、さだまさし氏が愛し、私が夢に見た中国の姿をそこに見ることはできませんでした。途方もなく大きく、静かで 、そして厳しい自然と、それに向き合って生きる素朴な人々・・・。
便利で豊かな生活は、誰もが望むものではありますが、人々が「道徳」や「良心」、つまり人間としての「心」を忘れ、物質的な豊かさばかりを追い求めたとしたら・・・。日本がそうであった(現在もそうかもしれません)ように、今の中国は正にその危機に直面していると言えるかもしれません。先日、ある日本企業の経 営者が「『膨張』と『成長』は違う。」と話していた言葉が大変印象的でした。
経済成長真っただ中の中国では、誰もがこの波に乗り遅れまいと懸命になっています。海外から進出してきた企業に土地や権利を売り、にわかに大金を手にした中国の金持ちたちが、「とにかく儲かる商売を!」と、飲食店やレジャー施設などの経営に手を伸ばしています。先ほどの「膨張」という言葉がぴったりです。中を のぞいてみると、何もない、空洞状態です。長期的なビジョンに立った計画や、人材育成、企業理念・・・本当に何もありません。思いつきと、金にものを言わせ、大博打を打つようなものです。
都市の開発にしても然り。インフラの整備などは後回しにして、どんどんビルを建て、道路を造り、形ばかりの近代都市を形成していく。あげくの果てに、河川の汚染、光化学スモッグが発生し、生活に必要な水の供給が出来なくなる、気管支炎や肺病を抱える人々が増えるなどの問題が次々に出てくるのです。
それでも「また中国に行きたいか」と聞かれれば、きっと「もちろん」と答えるでしょう。
帰国してからも、朝、眼が覚めると「ここはハルピンか無錫か・・・」という錯覚に陥ることがあります。(娘たちには「どれほど好きなん!」と呆れられていますが)。
「富士山と美しい桜」「やさしい人々」「綺麗な着物と奥ゆかしい女性」「武士道」と、日本にあこがれを持ってやってくる留学生は沢山います。ただ、実際に日本で生活をはじめ、半年くらい経った学生に「日本の印象」を尋ねると、韓国の学生は「韓国とあまり変わらない」、中国の学生は「物価が高いし、人は冷たいし 、住みにくい」、欧米の学生は「着物を着ている奥ゆかしい日本女性はいないし、武士のように男らしい人もいない」と、ため息交じりに答えます。しかしながら、これが現実の日本の姿なのです。
私も、ありのままの中国を見て、受け入れるべきなのでしょう。中国のこれがいや、あれがいや、だから嫌い!と一方的に遠ざかっていては、本当に理解することは不可能だと思います。それに、私が短い中国生活で経験したことは、ほんのわずかなものにすぎないのですから。「あの頃はよかった・・・。今の若いものは・ ・・。」と言うようになったら、年をとった証拠と言いますが、最近、その傾向が強いと娘たちに指摘されたばかりです。気をつけなければ・・・。
2009年8月21日
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