もう一つの世界
「そんなこと,俺の知ったことか!」という言い方だが,これを単に, 我不知道。 では芸が無い。そこで, 鬼知道。 と言う。「鬼ならば知っている=人間は知らない」という言い方である。“鬼”は我々の住む世界とは別次元の生き物だ。 “幽灵”という語もあるが,中国人はこれよりも“鬼”のほうが怖いという。“鬼”のほうが土着的で不気味なのだろう。 “鬼”はもちろん日本の「鬼」とは違う。角があり,赤い顔をしているのではない。では日本の幽霊のようかというとそれも違う。日本のそれは足がなく,手をだらりとさげ,「うらめしや」という。こういう特徴をもつわけではない。唯一特徴としては「影」がないことぐらか。 中国語では人を罵るときにも“鬼”が出てくる。こんなジョークがある。
鬼怎么骂 活着的人经常爱骂“见鬼去吧”。 可是您想过没有,地狱里的人怎么骂呢? (生きている人はよく「“鬼”に会いに行け→地獄へでも行っちまえ」と人を罵る。しかし,考えたことがあるだろうか。地獄にいる人はどう罵ればよいのだろうか。)
地獄では身近に“鬼”がごろごろしているわけだから,こんなののしり言葉は用をなさない,といっているのだ。 たとえば地獄の鬼が主人公の,鬼社会を描いたような戯曲では“鬼知道。”はどうなるのだろう。やはり,「知らない」は“人知道。”になり,鬼同士で罵る時は“见人去。”ということになるのだろうか。 また,ドアがノックされて,「ほら,だれか来たよ」というときは,我々の世界では,“你听,有人来了。”というが,これも 你听,有鬼来了。 となるのだろうか。 「ごめんください」は“有人吗?”だが,さてどうすればいいのだろうか。 そもそも“人”はいろんな場面で顔を出す。
真气人!(ああ,しゃくにさわる! ) 真急死人了。(ほんとにじりじりする)
動物が主人公の童話や物語があるが,この世界でも“人”はどうなるのか気になる。 日本語だって「まったく,人の気も知らないで」「そんなことをしていると人に笑われるよ」というし,「人気がある」という。こういうのも「鬼気がある」になるのだろうか。 「雨が降ってきた」はわれわれの世界では“下起雨来了。”だが,雲の上の鬼たちにとってみれば“下起雨去了。”となるのだろうなあ。なにしろ下界に「降ってゆく」のだから。 妄想とどまるところなし。
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