MAO的小屋 ~相原茂の隠れ部屋~
Home Profile Essay Diary Column Gallery Books

MAO'S Profile
雑誌、新聞、書籍などに寄稿したエッセイ集。
再び だじゃれのススメ

本屋に行くと,英単語の覚え方についての本がたくさん出ている。
最近は「語源で覚える」というのをよく目にする。
例えばaquaは「水」を表す。aquaを含む語は「水」と関連をもつ。Aquariusは「水瓶座」,aquariumは「水族館」,aquaticは「水の,水中の」という形容詞だ。なるほど,こうすればaquaという語源を1つ覚えれば,関連する数語を覚えられる。
だが,中国語では「語源で覚えよう」と主張する単語帳は1冊もない。そんなスローガンも聞いたことがない。なぜか。
そんなことを声高に叫ばなくとも,誰もが「語源」で覚えているからである。
“多少”は「多い+少ない→いくら?」の意味である。さらに“钱”は「銭,お金」の意味である。組み合わせれば“多少钱?”で「いくらのお金」つまり金額を「いくら?」と聞く言い方だ。
“对不起”の“对”は「対になる,向き合う」ということだ。そのあとの“不起”は「〜できない」ことを表す。すると「向き合うことができない→顔向けできない→申し訳ない,ごめんなさい」となる。
このように,漢字1字が1語源をなす。そんなことを特に言われなくとも,みんなこれで理解している。
だれもが語源で理解しているから,それ以外の覚え方もさっぱりなかった。例えば「だじゃれ」による記憶術,これも英語なら十数冊は類書が出ている。
「語源派」がどことなく学問的なのに対し,「だじゃれ派」はできない者の窮余の一策ととられがちだ。しかし,だじゃれこそは,音をつかまえる工夫である。
“对不起”を「顔向けする+できない」として覚えるのは,漢字を見て,その語源から意味を導きだすにはいい。しかしduìbuqi (ドイブチー)という音を覚える方策にはならない。
外国語はまず音である。中国語も外国語である。
しかし,中国語は漢字で書き表されるため,われわれ日本人はどうしても漢字から理解しようとする。事実,漢字は意味を直接的に表し得るために,日本人学習者にこの上ない便宜を与えている。目でみればわかってしまう。その分,肝心な外国語としての音がおろそかになる。
もし,中国語が漫画のふきだしのように,空中にセリフが漢字で出たら,日本人はみんな目で中国語に触れることができる。中国語を理解する割合も大いにアップするだろう。しかし,言葉は音であり,音は目に見えない。
この音を記憶に留めるには,駄洒落は,面白い,そして有効な手段なのである。
では「だじゃれ」では「いくら?」という意味の“多少钱?” Duõshao qián?はどう覚えるか。これは「ドアチェーン,いくら?」と記憶する。
Duõshao qián?と「ドアチェーン」はよく似ている。中国に旅行にゆき,お店で欲しい品物を指差して「ドアチェーン?」と言えばきっと通じる。
“对不起”とお詫びするときは「ごめんね,デブチン」と覚える。これで人に謝る場面では一言「デブチン」といえば大丈夫だ。
こんな調子の「空耳中国語」が,いま私の周りではちょっとしたブームだ。私のウェブサイトをみた友人が,「こんなのはどうだ?」とメールをくれる。それがなかなか力作,傑作ぞろいなのである。
例えば,必須表現の「これは何ですか」,中国語では“这是什么?” Zhè shì shénme?という。「これは何ですか。銚子(の)サンマ?」と覚える。
「あなたの名前は?」は“您贵姓?” Nín guìxìng?だ。「憎いシーン,演じていたあなたのお名前は?」というのはどうか,と提案してくる。
これは立派な企画になりそうだ。あまりネタをばらすのもなんだからこのぐらいにしておこう。


他のエッセイを読む