イディオムなんて知らないよ
なぜクイズや謎なぞごときにコロリと騙されるのか。原因は問題文の二義性にある。 二義性とは,ある語句が二通りに解釈できるということだ。 では,二つある意味のうち,なぜもう一つの解釈が見えないのか。 すべては「思い込み」であり,「先入観」のなせるわざだ。 例えば,こんなクイズがある。
做什么事要从头来?
これを見れば,中国語ができる人なら「最初からやらなければならない事とは何か?」と理解する。はて「最初からやらねばならぬこと」とは何か。物事はすべて「最初から」手をつけなければならないように思える。 実は「最初から」というところが問題で,二義性がある。ここは原文は“从头”だ。素直に読めば「頭から」ではないか。では「頭からやる事」とは何か。「理髪」である。なまじ“从头”という表現をイディオムとして知っているからいけない。 もう一つ,“睁一只眼闭一只眼”という表現がある。「片目を開け,片目を閉じる」とは「見て見ぬ振りをする」「目こぼしをする」ことだ。イディオムとして辞書にも出ている。これを利用したこんなクイズがある。
小王是一名优秀的士兵,一天,他在站岗值勤时,看到有敌人悄悄向他摸过来,为什么他却睁一只眼闭一只眼? (小王は優秀な兵士である。ある日,彼が持ち場についていると,敵の兵士が秘かに彼の方に向かって進んでくるのが見えた。ところが彼は「見て見ぬ振りをした」その訳は?)
この問題にはイディオム“睁一只眼闭一只眼”が効果的に使われている。優秀な兵士が敵の来襲を「見て見ぬ振りをする」なんて,普通ならありえない状況だ。だからこそクイズになるわけだが,ここでこの表現の原義に着目しよう。「片目を開き,片目を閉じる」で,考えてみれば,このような動作は射撃の時によく行われる。そう,彼は「片目を開き,片目を閉じ」敵の兵士に狙いを定めているところで,まさに射撃しようとしているのである。これなら納得できる。 このようにイディオムに惑わされてはいけない。むしろ,イディオムや成語なんて知らないよ,という態度が時には必要だ。 たとえば“自讨苦吃”という成語がある。「自ら苦労を背負い込む」というぐらいの意味だ。その成語が出てくる,こんなクイズがある。
自讨苦吃的地方在哪里? (自ら苦労を背負い込むところはどこか?)
これも「成語」と思わず,もともとの意味を考えるとよい。つまり「自ら求めて苦いものを食べる」,そんな場所があるか。答えは“药店”(薬屋)だ。 四字成語は中国語には頻出する。次は“咬文嚼字”という成語の問題。これは「文を噛み,字を咀嚼する」が原義で,そこから「文章の字句にばかり細かくこだわる」という意味だ。一字一句,ああでもない,こうでもないとこだわることを言う。学者にはこういうことを好む人が多いせいか,《咬文嚼字》という雑誌まで出ているぐらいだ。
谁最喜欢咬文嚼字? (“咬文嚼字”が最も好きなのは誰か)
この問いの答えは「学者」ではない。解答を覗くと“书中的蛀虫最喜欢咬文嚼字”とある。「本の中の紙魚」である。ここでも文字通り「文字をかじる」意味にとっていることがわかる。 次は成語ではないが,“吞吞吐吐”という言い回しがポイントだ。
明明一向心直口快,可什么事竟让她突然变得吞吞吐吐了呢? (明明は何でもズバズバいう性格だ。ところが突然口ごもり歯切れが悪くなった,さて一体どうしたのだろう)
“吞吞吐吐”は“心直口快”の反対で「口ごもり,歯切れが悪い」ことだ。これもしかし,もともとの意味は「飲み込んだり,吐き出したりする」ことだ。何かを「飲み込み,吐き出す」,そんな動作をするのは何だろう。 これは私は解けなかった。答えをみて,なるほどと思った。中国の食文化というか,独特な習慣と関わりがあった。解答にはこう出ていた。
明明在吃甘蔗,吞是吞甘蔗汁,吐是吐甘蔗皮。 (明明はサトウキビを食べているのだ。“吞”は甘い汁を飲み込むこと,“吐”はサトウキビのカスを吐き出すこと)
サトウキビはよく街の路傍でも売っている。そのまま食べ,汁を吸い,カスを吐き出す。こういう動作は中国人にとっては日常的なことで,おなじみの光景なのだろう。しかし我々の脳裏にはなかなか思い浮かばない情景だ。 いずれにしろ,すべてイディオムや成語としての比喩的な意味を前面に出し,そう解釈させようとしている。それが通常ゆえ,うっかり引っかかってしまうのだ。 最後に単純なクイズを出そう。これは“从未生过虱子”というところの解釈がポイントだ。
明明家里的狗从来不洗澡,为什么却从未生过虱子呢? (明明の家の犬は身体を洗った事がない。それでもこれまでシラミが発生した事がない,なぜか)
“从未生过虱子”は,この文脈では「これまでシラミが発生した事がない」という意味になる。しかし,この部分だけ独立して見れば「これまでシラミを産んだ事がない」とも解釈できるではないか。そうであれば「犬は子犬は産むが,シラミを産む事はない」(“狗生小狗,不会生虱子”)とわかる。 これも文脈の中で,一つの意味に誘導するものだ。
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