MAO的小屋 ~相原茂の隠れ部屋~
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MAO'S Profile
雑誌、新聞、書籍などに寄稿したエッセイ集。
海のある風景

岸 弘子

仕事で山東省威海というところに1週間滞在することになりました。

ホテルに着いて車を降りるやいなや、懐かしい海の香りと波の音。私は波の音を子守唄代わりに育ったものですから、時々、無性に海が恋しくなります。

中国に来て、こんなに近くに海を感じられるとは夢にも思っていなかったので、胸の高まりを抑えることができませんでした。ホテルに着いたのが夜の11時過ぎ。その日は何とか自分を抑え、翌日、午前中の仕事を終えると、昼食もそこそこにホテルの外へ飛び出しました。

ホテルから砂浜までは1分足らず。久しぶりに砂に足をとられながら、子供のように砂浜を駆けまわりました。海水浴もシーズンオフなのか、釣りをしている人と犬を連れて散歩を楽しむ人がちらほら。遠浅なのか一艘の船も見られません。雲ひとつない空と、深い青緑の海とが交差する水平線が、どこまでも続いています。一人ではしゃぐ 私の姿を、周りの人は奇妙に思っていたに違いありません。でも、そうしないではいられないほど興奮していたことは確かです。もう少し暖かかったら、海に飛び込んでいたかもしれません。

興奮が少し冷めたころ、砂浜の端にたどり着きました。そこから少し階段を登ると、海沿いに続く遊歩道が整備されていて、ホテルの裏庭を右手に見ながら、海を左手に散歩を楽しむことができます。欧米風のホテルの庭には、晩秋の海風に吹かれる可憐な花々と、客もまばらなカフェテラス。まるで神戸の異人館通りを歩いているような錯覚に教われました。気がつくと石畳の階段に腰掛けて、一時間近く海を眺めていました。

ハルピンに着いてから、寝る間も惜しんで仕事をやっていましたから、こんなに頭を空っぽにして海を眺めていられることに、この上ない幸せを感じていました。もし、私が詩人であったとしたら、この景色をどんな言葉で形容したでしょうか。こういうシーンに遭遇する度、言葉の無力さ、言葉で伝えることのできる世界の限界を感じます。

惜しむべきは、一緒にこの景色を楽しむ人がいなかったことでしょうか。一緒にこの景色を楽しむとしたら、おしゃべりな人ではなく、何も言わず、何時間も海風に吹かれながら、感情を共有できる人でなければいけません。

時計は2時半を回っていました。部屋で昼寝を楽しんでいる友人が目を覚ますころかもしれません。きっと彼女は「海を見てるより、おいしいものを食べて、寝ていたほうが良かったのに」と私のことを笑うに違いありません。


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